「ドッカーン!」の前兆
自分の「過去」に焦点があたる
「自分を知る」ための色々な方法を試してみる
「このままではいけない!」と漠然と気が付いたものの、
何をしたら自分について知れるのだろうを悩んだ私は、
とにかく考えられる方法をあれこれ試してみました。
心理学の本、性格診断の本、発達障害の本・・・
そして毎日の自分の生活について、特に自分が感じている感情について書き出す自分のためのノートを作ってみました。
大人になったつもりでいたけれど
「自分がどこかおかしいのではないか?」という仮説を立ててから、
私には思い出したことがありました。
私は幼い頃から思春期くらいまでずっと、
「自分はちょっとおかしいのではないか?」「人と感じ方が違うのではないか?」という、いわゆる「生きづらさ」のようなものを感じていたことを。
そのため自分で常に「世間の普通」を意識し、
自分を限りなく「世間の普通」に近づけるように努力していたことを。
そして成人し、なんとか「普通のふるまい」ができるようになっているのではないかと錯覚していました。
しかし実際は、大人になってからも
- 好きな異性ができると、その相手のことで頭がいっぱいになる。しかしその相手は不誠実な人が多く、付き合ってから苦労をする
- 特に中学生くらいから「人の役に立ちたい」という強い気持ちがあり、福祉系相談員の仕事に就くが、長続きせず、毎回ほぼ2年で燃え尽きるようにして転職を繰り返す(何度か、高所から下をのぞき込むようなことも)
- 友人の行動に振り回されてばかりいる
など、数々の問題があったのです。
私はそれらを、表面上は人のせいにはしていませんでしたが、内心では実は人のせいにばかりして、自分に問題があるとは考えていなかったのでした。
自分の過去の年表を作ってみる
色々試してみた私は、「自分の過去」に何か原因があるのでは?と考え、
ついに「自分の過去の年表を作る」という作業にとりかかります。
そして、いくつかひっかかるところが出てきます。
具体的には、生まれ育った家庭について
- 両親の仕事が「先生」と呼ばれるようないわゆる堅い仕事であり、仕事が忙しく、主に祖父母に育てられた。
- 家族内での喧嘩、特に両親の喧嘩が多い家庭であり、思春期に両親が離婚している
- 母親の気性が激しく、気持ちを汲んでもらったことがほぼなかった
- 姉と二人姉妹で、姉からはよくいじめられ行動をコントロールされていたが、家族に訴えても相手にしてもらえなかった
- 次第に情緒的に波のある姉の話の聞き役になっていった。両親もそれを推奨し、両親の離婚後は姉の行動で悩む両親の話の聞き役になっていた。
- 次第に大人の言うことをよく聞き、察して行動する「良い子」になっていたし、家族からも周囲からも「良い子」と言われていた。
- 思春期の頃も、いわゆる「反抗期」と呼ばれるものがなかった
ちなみに、私は今も未熟ですがこの頃はもっと未熟だったため、
とにかく家族について「悪かったところ」を中心にピックアップしていました。
そして、私の中に家族に対する怒りの感情がじわじわとわいてきたのです。
「ドッカーン!」の決定的なトリガー
『だれにでも「いい顔」をしてしまう人』
丁度そのころ、私が「自分を知る」の手掛かりになりそうだと注文していた
本がいくつか届きました。
その中の一冊が、加藤諦三さんの『だれにでも「いい顔」をしてしまう人』
でした。
私はこの本を読んで、強い衝撃を受けます。
まさに、自分のことを言われているかのように感じたからです。恐怖でした。
特に衝撃的だったのは、『だれにでも「いい顔」をしてしまう人』は、これまで他人や世間に合わせすぎて、あまりにも「自分がない」という部分でした。
そしてその原因として、加藤さんは幼少期からの親との関係性を指摘していました。
母親への初めての反発
私の中でわいてくる怒り感情の矛先は、
多くが私の「母親」に対するものであることに気が付きました。
家事をしていても育児をしていても
過去の色々な出来事(されて嫌だったこと)がひっきりなしに頭をめぐるのです。
あの時はこうだった・・・あの時はこう言われた・・・という風に。
パニック状態の中、私は母へ電話をします。
そして両親の(特に母の)姉と自分への子育てが、いかに理不尽なものだったかについて不満をぶつけました。
普段は穏やかな人間関係を好む私ですが、この時ばかりはこうせずにはいられませんでした。
おそらく、物心ついてから初めての母への反抗だったと思います。
母は最初は謝っていましたが、次第に母に余裕がなくなり感情的になってくるのがわかったため、私は話すのをやめました。
特大の「ドッカーン!」がやってくる
思い出が、溢れて止まらない
辛い思い出が溢れて止まらない
さて、「初めての母に反発した!」ことがトリガーとなり、
私の頭の中にはせきを切ったように、
自分の生まれ育った家庭での辛い思い出が溢れて止まらなくなりました。
その中には、小さい頃から母に心無い言葉をぶつけられたり、
理不尽なことを強要されたという思い出が多く含まれていました。
話が止まらない
私は普段は決して早口ではないのですが、
このときばかりは別人のように多弁となり、
滝のように次々と言葉が出てくるので自分でも驚きました。
夫や、電話相談ダイヤルなどに電話をしたり、
話しきれないものはとにかく書きなぐるようにしてノートに記しました。
眠れない!!
「思い出が頭の中を駆け巡る」というこのドッカーン現象は
この時がピークでした。
とにかく頭の中がグシャグシャであったため、
注意力が散漫となり、一時的に家事や育児をすることが難しくなりました。
夜になっても同じ状態だったので、眠りたくとも眠れなくなってしまいました。
この混乱ピーク時の3日間位は、睡眠時間が2~3時間ほどだったと記憶しています。
眠りたいのに眠れず、疲れてしまいほとんど床に伏した状態となりました。
3日間ほど家事育児を夫に任せる
当然のことながら、幼い長女と赤ちゃんである長男のお世話は待ってはくれません。
ありがたいことに、授乳ぐらいしかできなかったこのピーク時の3日間は、
夫が仕事を休んで育児や家事をしてくれ、なんとか乗り切ることができました。
寝室にこもってばかりいる私について、夫が子ども達に
「ママは、今よりもっといいママになろうとして頑張っているんだよ」
と話しているのが聞こえました。
夫には本当に感謝しています。
混乱ピーク時のふしぎな体験
さて、この一番混乱していた3日間の真ん中、午前中のことです。
睡眠不足でフラフラな頭の私は、
数分間だけのふしぎな体験をしました。
突然、私の視界が5~10分程度、グワーッと輝くように明るく、クリアになったのです。
そして同時に次のようなことを感じます。
- 私はずっと視界にモヤがかかったような状態で生きてきたこと
- これから自分が変わっていけば、このようなクリアな視界の中で生きられること
夫も子供たちに対し、今までの10倍くらい、大好き!ありがとう!という気持ちになり、
幸せが感じられました。
そんなことを考えているうちに、数分でクリアな視界は消えていき、
またそれまでのようなもやがかかった視界に戻ったのでした。
体験記③「After」に続きます